南米4カ国の旅 そのⅣ

 1月23日(月)ユカイからバスでオリャンタイタンボ駅へ行き、高原列車でマチュピチュへ。今回の旅行の一番の目的はここだ。

 アマゾン河の原流ウルバンバ川に沿って高原列車で下っていくとアグアス・カリエンテス駅に着く。土産物屋が軒を連ねる通りを過ぎてマチュピチュ行きのミニバスに乗った。くねくねとした山道をバスで上り詰めると目の前に突然、石の世界が広がる。マチュピチュだ(2300m)。現地ガイドさんの話では、インカ時代ここで4000人の人が生活していたそうだ。その基礎となるのが段々畑である。インカはこの畑でジャガイモ、トウモロコシ、コカの葉など200種類近くの農作物を生産してたという。コカ茶は昨宿でも飲んだ。利尿効果があり高山病に効くという。あちこちでコカ茶は売られていた。しかし、麻薬の一種コカインを含んでおり日本へは持って帰れない。
 マチュピチュに着いた時は天気は悪くなかったが、遺跡内を見学していくうちに時々雨が降ってきた。狭い通路を傘をよけながらの見学。農業用テラスや、段々畑、水汲み場(今も水が流れていた)、太陽の神殿、日時計などこんな高地に・・・。正に空中都市だ。クスコと同様ここでも剃刀の刃一枚を通さないほど緻密に組まれた石工技術があった。こんな高地で、こんな石の組立てで生活したのは何なんだろう。平地でも難しい作業をこのような高地で成し遂げたインカ文明は素晴らしい。ガイドさんの話ではスペイン人がインカを攻めてきた時戦ったところはクスコあたり。クスコへはマチュピチュからも兵士が出て行った。しかし、インカの石の文化ではスペインの鉄の文化には勝てない。兵士は敗れて帰ってこなかった。残った女、子供では子孫は残せず滅びた・・・と。やっぱり来て見なければ分からないと感ずるマチュピチュだった。
 ミニバスでの帰り道、一つのカーブを曲がった時、少年が「グッバーイ」と手を振っている。なぜか英語で。又次のカーブを曲がるとあの少年がいて「グッバーイ」と。バスがヘアピンカーブを曲がりながら下りて行くたびに、「グッバーイ」・・・と。昔一人の少年がやったことから始まったらしい。今では数人の少年がいるとか・・・。駅手前でバスに乗り込んできてチップを・・・。マチュピチュのグッバーイ・ボーイだ。
 帰りも高原列車とバスでクスコ(3400m)へ。夕食はアンデス民族音楽フォルクローレを聴きながら食べた。夕食をしていたら家内が急にトイレに駆け込んだ。クスコ宿泊。